空の上には
もっと青い空が浮かんでいる
波の底には
もっと大きな海が眠っている
胸の奥で
ことばがはぐくんでいる優しい世界
次の垣根で
蕾をさし出している美しい季節
少し遠くで
待ちかねている新しい友だち
あんなに確かに在るものが
まだここからは見えないだけ
これは中学2年の光村版国語の教科書に載っている牟礼慶子さんの詩です。どうですか?いい詩ではありませんか?長年教師をやっていた牟礼さんならではの詩です。この詩はじじの好きな詩の一つです。思えば私の人生も見えないものだらけでした。大学卒業後、当時統合保育で有名な園で保父としての社会人スタートをきり、そこで障害者教育にも携わり、新しい施設を作るために出向として国会議員秘書をもやりました。だんだんと現場から離れる中で当時の理事長と「福祉とは何か」で言い争いになり、その職場を去りました。そんな私が理事長は許せなかったのか、各施設に回状を送り、なかなか私を採用してくれる施設はありませんでした。そんな中、ひょんなことから塾での講師生活が始まりました。「子どもたちの心を歪める1つが進学塾」と思っていた自分が生活のために講師になるとはと、やや自暴自棄的になっていた時代です。でも子どもたちと接しているうちにだんだんと考えが変わっていきました。塾に来ている子も生きている。そして多くの子どもたちがそれぞれの課題をもって生きている、こんな当たり前のことに気づくのに3年かかりました。「分かった」、「出来た」と言った時の子どもたちの笑顔にも気づくようになりました。『出来る子も出来ない子も、みんな成長の種を持っている。その種を芽生えさせる手段が勉強であっても構わない』、そんな考えを抱くようになりました。3年前には見えなかった世界です。確かに在るのに見えなかっただけです。先週も「見えないだけで確かに在るものがあるんだ。その在るものを探し出すためには、いま頑張るんだよ」、この言葉を、ある子に言いました。その子は個別指導の子です。軽度の障害があり、自己否定に陥りそうになっている子です。可能性を自分で切り捨てて欲しくない、そんな想いでこの言葉を伝えました。でもこの言葉を一番多く言っている対象は私自身なんです。私は今まで何千回とこの言葉を自分に向けて言ってきました。人生のカウントダウンが始まっている私ですがまだ見えていない物がたくさんあります。そして子どもたちの未来をもっともっと見なくてはと・・・・・