平戸教室は、六ツ川西小と六ツ川中の児童・生徒が多いのですが、先日、ある小学生から「六ツ川っていう地名だけど、六つの川なんてないよね。なぜ?学校の先生も不思議がっていた。」と質問がありました。前々回のブログで北条政子と井土ヶ谷の歴史を少しお話ししましたので、今回も「じじ」の歴史雑談で。
古くは今の中区・南区・港南区・磯子区・金沢区の横浜臨海部は武蔵久良岐群(古くは郡衙ー群の役所ーは弘明寺にあったという説も)で、その中で、 弘明寺村、中里村、別所村、最戸村、久保村一帯は多々久郷と呼ばれていました。新地開発の中で最戸村(現上大岡付近)の村人が移住し、現在の六ツ川周辺に引っ越したことから引越村(現在の引越坂周辺)が出来、その後、先の他の村からの移住者も増え、明治には六つの村は大岡川村に含まれました。昭和になって横浜市に編入されたときに大岡「川」村から分離し、新たに六ツ川町になりました。大岡「川」という川の周辺の六つの村が集まり一つになって六ツ川です。六ツ川には川はありませんが、『六つの村人が一つになって作った村』、何か素敵な由来とは思いませんか?